ゲームから得たもの

私と親しい方には周知の事実だと思いますが、私はゲーム大好きです。

昔から好きだったし、多分これからも好きでしょう。

かといって、漠然とゲームやるのは好きではないですね。

必ずそのゲームに何らかの意味・教訓を見出して日常生活に役立てようとするところが

私の変態的ポリシーです。


個々のゲームから得たものについてはここでは省略して、まずゲーム全体から

得たものについて語りましょう。

それは、「戦い方」と「戦う喜び」です。

ゲームの定義

最初に私にとってのゲームとは何ぞやという話をしますと、やはりwikipediaの説明が

一番しっくりしますね。

松田道弘はその著書『トランプの楽しみ』で、「遊戯としてのゲーム」の定義として「勝敗を争う事で楽しむ遊戯」という定義を採用している。この定義は単純明快であり、かつ言い得て妙である。
(強調はshiumachi、以下同じ)

ゲーム - Wikipedia

私がゲームを通して学んだことは、この定義そのものと言い換えてもいいかもしれません。

それくらいに、私の言いたいことが一言に集約されています。


もう一つ、wikipediaから引用してみましょう。

遊戯=遊びについての説明です。

オランダの歴史家ホイジンガ(ハイツィンハ)は著書『ホモ・ルーデンス』で、子どもの遊びだけでなく、企業活動、議論、戦争、人の活動のあるゆる局面に遊びのようなルールと開始と終わりのあるゲーム的性格が見られると指摘しており、「人は遊ぶ存在である」という所説が評判を呼んだ。

遊び - Wikipedia

これらを総合してもう一度私の言葉を言い換えます。

「私は、ゲームを通して、人間活動のあらゆる局面にルール・開始・終了を見出す、すなわちゲーム化することでその局面で勝利を得ること、及び勝利を得るために行うあらゆる活動に喜びを感じることを覚えた」


まあつまりぶっちゃけ言うと、何でもかんでもゲーム的にものごとを考える、

頭の芯からゲーム脳なわけです、はい。

それにこの言い方だとまどろっこしくて仕方がないので、最初に紹介した

「戦い方」「戦う喜び」で話を進めることにしましょう。

戦い方:ゲームルールのパターン化

ゲームなんて一口に言っても色々あります。

つまり、ルールも、勝ち方も、千差万別なわけです。

じゃんけんとチェスと東方シリーズでは戦い方、勝ち方が全く異なるわけです。

でも、世の中のルールの多くは既存のゲームのルールの応用とか組み合わせだったりするわけですね。

例えばじゃんけんのようなルール上だけから導き出される戦術に絶対的優位性がないゲームのルールを知っていれば、「相手が次何を出すか」の探り合いをメタゲームとして捉えることができるようになります。

あるいはチェスを知っていれば、世の中の多くの人間活動には「定石」というものがあるんだということに気づくことができます。

東方シリーズで弾幕をある程度避けた人ならば、一見複雑に見える問題も、「細分化」し「パターン化」してしまえば実は簡単だったりします。
(東方わからない人は音楽の演奏だと思って下さい)


ちょうど東方の話が出てきましたが、多くのゲームをプレイして学んだ「戦い方」は、「世の中の事象のパターン化」とも言い換えることができますね。

たくさんのゲームをプレイしてきたからこそ、どんなつまらない状況でもゲーム化することができるのだと思います。

(とはいっても私よりたくさんゲームしてる人はいっぱいいると思いますからあまりえらそうなことは言えませんが^^;)

戦う喜び:容易に得られてしまう快楽だからこそ

ゲームをクリアすることによる達成感等の快楽は、現実世界に比べればいとも容易に得られます。

現実から逃避してゲームに没頭してしまう人がいるのも事実でしょう。

その方が簡単に快楽を得る事ができますからね。

しかし、これは逆に考えれば

「力のない人に、勝利の喜びを教える事ができる」

とも言えるわけです。


世の中「オレは世界を救うんだ!」などと理想に燃える人なんてそんなに多くありません。

戦う目的も持たない人が戦い方を覚えるのは、やっぱりちょっと難しいのではないのかなと思うんですよね。

でも戦う喜び(=快楽)を先に与えてやれば、人は快楽を求めて必ず活動します。

戦う力がないのなら、「ゲームに勝つ」ために努力するようになります。

(ここで人の足ひっぱることばかり覚えたり、目標にとどかないからとすぐ挫けたりしないように注意する必要がありますが)

それをうまく現実世界に持って行けば、見事なまでの中毒患者、

リアルゲーム脳の出来上がりです。

ナイス。

まとめ

なんだかんだいって、結局のところゲームをやることを正当化したかっただけです。

思っていることは事実ですけどね。

最近いわゆるゲームソフトをプレイする機会がめっきり減りましたが、それはただ単に他の「ゲーム」が面白くなってきただけのこと。

私はいつだってゲーマーです。