翻訳教室(4)

かえるくん、東京を救う 村上春樹(訳:ジェイ・ルービン)

  • 翻訳は語彙の豊かさが肝腎などと言いますが、むしろ、似合わない言葉を取り除いていく作業だと思います。
  • 一般論として、doorwayに限らずdoorという言葉を訳すときにもっと翻訳で出てくるべき言葉は「玄関」ですね。
  • (ルービン)「しかたがない」っていう日本語の表現にぴったりあう英語の表現ってないんですよね。
    • (結局ルービンはI had no choiceと訳している)
  • pinnedよりもjammedの方が力が入っている感じ
  • jamって言い方はものすごく強いわけじゃない
  • (ルービン)たとえば「じっと」とか、息がつまるような雰囲気を伝える日本語が入っていたら、訳すときもそれに当たるような動詞を使います。jamもそれと同じです。
  • (ルービン)英語は動詞がものすごく強い。日本語はだいたい副詞プラス動詞を使うと強さが出るけど、そのまま英語にするとせっかくの強さがなくなる。
  • 「誰かが〜しているんだ。誰かが〜しているんだ」と反復でリズムを作れるのに、それが消えてしまう。
    • (私が今回の訳で一番失敗したところ。前回の超訳(笑)に味を占めてSomebody's playing a joke on meを「これなんてドッキリ?」とか訳してしまった)
    • (ただまあ、このSomebodyは無理に訳さなくてもいいようだからあながち間違ってるとは言えないと思う)
  • he knewとかI thoughtとかいうのは英語では文の途中に入っている場合がけっこう多い。それが日本語だとどうしても最後になってしまいがち。それをこの「間違いない」のようにして先に入れて、センテンスがどういう方向に行こうとしているかをガイドするのがいいですね。
  • (ルービンが「野菜」の訳にわざわざfreshをつけたことに対し)そうか、アメリカではvegetablesって言うと冷凍食品の四角に切り刻んだ野菜とかを思い浮かべちゃうんだよね。
  • (ルービン)このtinnedは僕の使った英語じゃない。tinnedはイギリス英語ですよ。僕の訳ではcannedなんだけど。
  • (ルービン)とにかく、翻訳とは科学的なものじゃない。どうしても主観が入る。それが入らないと、人間のやる作業じゃない。客観的に、何の感情も入れないで訳しても、ある言葉の文法をもう一つ別の言葉の文法に移すだけで、無茶苦茶になってしまう。個人の解釈が入らないことには、何も伝わってこないと思います。だからこそ翻訳っていうのは古くなったりもする。いわば「廃り物」
    • (長い引用ですが、全くその通りだと思います。「ねえねえ、こんな面白い話があってさ、」と友人に語り聞かせるとき、そこには必ず主観が入る。話し手が感動したところが強調されたりするわけですね。でも、だからこそ、その話が面白くなったり(そして場合によってはつまらなくなったり)する。私ももっと、「世界の人の想い」を伝えたいものです)


(2009/3/22追記:誤字修正 「資格に」→「四角に」)