厳密性

よく「科学的根拠を出せ」という人がいますが、数学ガールゲーデル不完全性定理を読んでると、科学的根拠を出す必要性についての科学的根拠ってあるんだろうかとか考えてました。

数学に少し触れてみると、厳密さを追求する姿勢にあらためて驚かされます。一旦この世界に嵌まってしまうと、もう他の分野なんかいい加減過ぎて興味持てないんでしょうね。

深く深く理解しようとする姿勢は何をするにしても非常に有用ではありますが、深みにはまり過ぎて本来の目的から外れてしまう危険もあります。

よくプログラマの間で、「理解できない、説明できないコードは書くな」ということが言われたりしますが、どこまで理解すれば、どこまで説明すればいいのでしょう? 私は Hello,world だってまともに説明する自信がありません。本当はそれじゃいけないのでしょうけど、でも Hello,world と表示されるプログラムがほしいというお客さんにはそれを売ることができます。どちらを優先させるかは、状況を見て判断したいものです。もちろん、理解できないコードは絶対に書かないというのが一番の理想なのですけど。

厳密性の話は、勉強する姿勢にも関係してきます。

私の場合は、以前話したようにゆっくりじっくり一つのテーマに取り組むこともあれば、興味のある複数の分野を広く浅く眺めたりもします。

エコ隊ではさまざまなジャンルの記事をとりあげますが、基本的に個々のトピックについてそれほど深くは追求しません*1。その代わり英語の理解についてはそれなりの厳密性が要求されます*2id:daisukebeid:marqs と来週日曜から始める技術論文読書会、通称デコ隊は最初の打ち合わせから「英語の厳密さは求めない」と決めています。中身の理解に重点を置くわけですね。

何事も選択と集中が大事です。

*1:の割には、毎回毎回メンバ内の誰かしらがその道の専門家だったりして、マニアックな知識を披露し合っているのが実情だが。

*2:誰もこういう風にするって決めたわけじゃないのに、いつの間にかこんな雰囲気になってたな。なぜだろう?