昨日法事がありまして、とある禅寺に行ってきました。
その寺の門前に書かれていたのが、以下の言葉。
莫妄想
馬鹿は気楽じゃ理屈の種が胸にないので気が広い
最初、この莫妄想の意味が「馬鹿は〜」だと思ったのですが、どうやら別々の出典からのようで、イコールで結ばれているわけではないようです。
とはいえ、この2つの言葉を並べたのはこのお寺の住職さんなので、そうしたことには何らかの意図があるのでしょう。
莫妄想(まくもうぞう)、つまり「妄想すること莫(なか)れ」です。don't 妄想。
こちらのページに詳しい説明があります。
もう一方の言葉も出典があります。
こちらのページにその一文が確認できますが、意味や説明は書いておりません。
この2つの言葉を並べてみるだけで、様々な思考が頭を巡ります。
- 妄想してはいけないってどういうことだろう?
- そもそも妄想ってなんだろう?
- ということを考えてること自体妄想じゃなかろうか?
- 理屈の種とはどういうものだろう? 妄想と同じなのか、違うのか?
- そもそもなぜ、この2つの文章を並べたのだろう?
やはりこれが禅語の世界なのでしょうか。とても深いです。
もう一つ、面白いことがありました。
私や私の家族は、2つ目の言葉を「もっと馬鹿になれって言っているのだろう」程度にしか捉えていなかったのですが、私と大分歳の離れた従兄はこれを見て「なんか自分の心の中にある理屈っぽさを責められてる気がする」という感想を抱きました。
読む人によって、心に生じるものが異なる。これもまた、禅語の面白さなのでしょうか。