最も無価値なものを探す

駅を降り、夜道を歩いて帰る途中、ふと思いつき「今目に映るもののうち、最も無価値なものはなんだろう」と考えてみました。
こんな視点で周囲を見渡すと、普段は全く価値を感じない様々なものが、意外にも価値があることに気づきます。
マンホールや排水口は、雨が降ったときの水はけに不可欠ですし、工事現場の金網は侵入防止の機能だけでなく不意にぶつかってしまったときの衝撃吸収に役立ちます。
「最も価値あるものを探す」という視点よりも、「最も無価値なものを探す」という視点の方がかえって多くの価値に気づくことができます。


これはよく考えれば自明の話です。
人間は自分本位な生き物なので、「最も価値ある」というのは無意識のうちに「(自分にとって)最も価値ある」という言葉に置き換えられます。

一方、最も無価値なものを探す場合、世の中の大半のものは自分にとって無価値なので、自分本位の価値判断だと比較ができません。
例えば、マンホールに大きな価値を見いだしている人は相当少ないはずです。
「より」無価値なものを探そうとすると、必然的に自分以外の価値基準で比較しなければならなくなります。

私にとっては無価値でも、ご近所さんに必要なものはたくさんあります。
住民にとって無価値でも、工事現場の作業員にとって重要なものもたくさんあります。
そんな視点でものを見渡すと、無価値なものって意外と見つからないものです。


案外、自分自身が今目に映る何よりも一番無価値なものなのかもしれません。