今日のLinusその8・テクノロジーの限界

id:CliffordBrown から、

「お前書いてること意味不明だからせめて日本語で書け」

というクレームをいただいたので(注:若干意訳してます)、

もう少し注意して書く事にします。


それでは今日のLinus

テクノロジーの未来について語るとき、本当に大事なのは、人々が何を望んでいるか、だ。
それがわかりさえすれば、残った問題は、いかに手早くそれを大量生産に移し、人々が
他の欲しい物をあきらめたりすることなく入手できるよう、安価にするかということだけだ。

(それがぼくには楽しかったから、p327)

ぼくはテクノロジー屋として、テクノロジーが何も動かさないことを知っている。
社会がテクノロジーを変化させるのであって、その反対じゃないんだ。
テクノロジーは、ぼくたちにできることとできないことの境界線を引くだけだ。
テクノロジーは、それが生み出した機器同様、少なくともいままでのところ、
本質的にはおもしろくもなんともないものだ。
そのテクノロジーを使ってできることが面白いだけの話だ。
その推進力となっているのは、人間の欲求と関心だ。
最近、情報交換ということがいわれるのは、そうする手段を手に入れたからじゃない。
人間がおしゃべりで、情報交換をしたいからなんだ。
そして、もしその手段がないのなら、人間はその手段を作りだすだろう。
それがノキアだ。

(それがぼくには楽しかったから、p358-359)


昨日の記事は、この Linus の言葉が元となっています。(それだけじゃないですけど)

どんなにすごい技術があったとしても、それと人々が興味を引くかどうかは別問題なんですよね。

「こんなすごい技術なんです!」って広告出しちゃダメなんです。


Linus は、技術にしか関心がないと(今はちょっと違うみたいだけど)言っている割に、
技術についてすごく冷静な目を持っています。

決して技術一辺倒の視点ではありません。

この辺、案外ひろゆきと近いのかな、とも思いました。

ひろゆきも、自分が手がけたサービスに対して非常に冷静な目を持っていたかと思いますし。


さて、確か id:casmokela への返答をするとか言っていたのでしなければなりませんね。

こないだ id:casmokela とちょっとした議論をしていました。

議題は、

ぼかりすの登場によって VOCALOID はどうなるのか」

といった感じ。

議論自体は既に終わっているのですが、落ち着いて考えてみたときに
前述の視点がすっぽり抜け落ちてたことに気づいたわけです。

つまり、

VOCALOID は消費者・作曲者・その他関係者のどのような欲求を満たしたか。

ぼかりすはこれら関係者のどのような欲求を満たすのか」

といった視点が必要なのではないかと思ったのです。


その技術が欲求を満たすかどうかというのは、技術のレベルには一切関係がありません。

場合によっては「高度である」という事実が人々に不満をもたらすかもしれません。

もっとも、まだぼかりすの全貌が見えていない以上深く突っ込んで議論することは不毛ですので、
ここらで止めておくことにします。


……っていう話を書こうと思ったのですが、またクレームが飛んできそうなので話を変えます。

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デスクトップ Linux を普及させるにはエロが一番です。

IPA の公募で Linux 専用のエロゲーを作らせるとかあったらすごく面白そうなのですけどね。

……まあまずありえませんが。


……こんな感じでいいですかね?