ゲームの功罪

以前、ゲームから何を得たかについて記事を書きました。*1

内容は、ゲームから問題解決の方法と問題を解決する喜びを得ることができる、というものでした。

しかし最近ずっと考えていたのですが、ゲームは問題解決の訓練にはなっても問題設定の訓練にはならないんですよね。

ゲームの世界はルールによって縛られた有限の世界です。

「予め」設定された問題を解決するのがゲームです。

ところが、現実世界の問題は無限の広がりがあります。

この中でどう問題設定していくかというスキルは非常に重要なのですが、残念ながらゲームでは「絶対に」得ることができません。

もちろん、「限定的に」問題設定のスキルを磨くことはできますが、やはり所詮は限定的な話なのです。

問題設定のスキルはゲーム以外のどこかで修得する必要があるのでしょう。


それでも問題解決の能力は重要だと思ってますけどね。

ケタリングの名言「問題を手際よく表現すれば、問題は半ば解決されている。」*2を吐くには、やはり
「問題が設定されていればそれを解決することができる」
能力が必要なのです。

そしてその能力を鍛えるトレーニングとしても、ゲームというのはいい教材だと思ってます。



……っていう話を一ヶ月ぐらい前から書こうと思っていたのですが、id:kany1120 に(私に比べ数段まともな視点から)思いっきり書かれてたのであわてて書いてみました。

http://d.hatena.ne.jp/kany1120/20080717/1216301947

*1:http://d.hatena.ne.jp/shiumachi/20080311/1205245086

*2:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0