頭の中で「地図」作ってない?

2045年には東京-大阪間をリニア走らせて片道15000円にしようなんて話もありますが、id:phoが指摘する通り、東京-大阪って遠いなあと感じました。

air asiaより高いのか。大阪よりもクアラルンプールの方が身近な気がしてしまった。

はてなブックマーク - technophobia - 2010年5月11日

エアアジアは羽田-クアラルンプール間を14000円で結ぼうとしています。

Airfare can go as low as 14,000yen one-way with introductory airfare planning at 2500yen to catch the eyes of the discerning Japanese travellers.

もちろん、クアラルンプールまでは6,7時間かかるので「時間的距離で近い」とまでは言うことができませんが、少なくとも金銭的距離ではクアラルンプールの方が近くなってしまうわけです。

大阪のような大都市でさえこの状況です。これが、日本の地方都市、あるいは山奥の小さな町などと比べてしまうと、時間的距離でも負けてしまうことになるわけです。

例えば東京から歌内という場所(北海道にある)までは、Googleの検索で6時間11分、38000円かかります。



にもかかわらず我々が「海外は遠い」と思い込んでしまうのは、我々が勝手に頭の中に「世界地図」を描いているからじゃないかと思うのです。

学校でさんざん勉強した世界地図ですが、本当に世界ってあの形してると思います?

もしかしたら世界って平たい円盤の上にあるのかもしれないし、象さんの上に乗っかってるかもしれませんよ?

実際、我々のほとんどは、世界が世界地図通りの形していることを確認したことがないはずなんです。


頭から地図を消したらどうなるのでしょう?

私が幼い頃、デパートや祖母の家は近く、学校は遠い存在でした。

実際の距離は学校の方が遥かに近いにもかかわらず、学校へは歩いて15分なのに対し、デパートや祖母の家は車で行っていたため距離感覚が全く分からなかったのでした。おまけに親の運転なため(当たり前)、自分は何もせずに楽々と目的地に着いたわけです。

頭の中から地図を消したら、この幼い私のように、距離感覚がまるっきり変わるのでしょう。


こういった感覚を間違いだと否定できるでしょうか。いつだったか、「届かない1mmは届く100kmより遠い」なんて言葉を読んだことがあります。結局「近い」なんて概念、というより距離という概念は人間の主観に基づいて作られたものです。距離の定義の仕方によってものの見え方が変わるのは当然です。


地図というものは非常に有用な存在ですが、視点を変えてものごとを見るときには一度捨ててもいいのかもしれませんね。