地方大学のサークルは世代交代と慣習の研究に適しているかもしれない


遺伝学の研究分野では、よくショウジョウバエが使われますが、その理由の一つとしてライフサイクルが非常に短い、というものがあります。10日ほどで世代交代しますので、連続した複数の世代を短期間のうちに観察できるという利点があります。私はこのショウジョウバエと同様の利点が、地方大学のサークルにあるのではないかと思いつきました。

「慣習や常識といったものは、実はそれほど昔から行われているわけではない」というこの記事の主張は、私は以前から認識していました。これこそ、私がかつて大学の部活動で学んだ経験だったからです。

数年前、私はある地方大学の体育会所属のある部に属していました。おそらく外部からみればおかしいと思われるような「常識」や「伝統」が色々とありました*1。例えば、夏休みに一ヶ月ほど霊山の山頂の山荘でバイトするという「伝統」がありました。これは任意参加ですし、私は非常に楽しい経験をしたと思っているのですが。あるいは、一晩かけて奈良の東大寺まで歩くというイベントがありました。今考えるとこの企画もいつどこでいかなる理由で始まったのかよくわかりませんでした。

この2つはあくまで「伝統」としての一例ですが、どちらも私の代で消滅し、今現在は実施されていません。前者については、大学がセメスター制に切り替わったことにより夏休みの期間が変わり、バイトの期間と被せることができなくなりました。後者については私が取り止めました。こういった、今まで続いてきた伝統を壊して、どのような影響が生じたのでしょうか?

何も問題はありませんでした。それどころか、数年が経過し、部内の世代交代が完全に行われると、もはやそのような伝統は歴史上の話でしかなく、誰も関心を寄せることはなくなってしまいました。伝統はあっさり消えてしまったのです。

先に引用した記事の内容は、慣習というのは実はそれほど古くないという話でしたが、同様の事例も経験することができました。私の所属していた部では3年生が幹部を務め、4年生の5月になった時点で次の3年生に幹部交代をするのですが、その交代の当日はもちろん飲み会があります(新入生歓迎会とセットになっています)。当日の流れは昼に部活動し、夜に飲み会という流れだったのですが、私が4年生のとき、次の新主将を囲んで飲み会の前から飲み始めよう、という流れになりました(私は何か忙しかったのか、これには参加してなかったと記憶しています)。晩の飲み会では新主将が乾杯の音頭をとるのですが、新主将は酔っ払っている状態で挨拶することになってしまったわけです。

重要なのはこの後です。数年後、卒業し地方を離れた私が部活動の話を聞くと、なんと上記の流れが「伝統」になったという話を聞きました。部活動→飲み会の流れが、部活動→主将を囲んで飲み会→飲み会で主将は酔っ払って挨拶をする、という流れに変わったというのです。ここに伝統は新しく生まれました。

私はこのような経験から、慣習・伝統の研究材料として地方大学のサークルは適しているのではないかと考えました。理由は、(1)ショウジョウバエと同様、メンバとしてのライフサイクルが短い(2)隔離された社会で独自進化した慣習を多く持っている、という2点です。

1点目についてですが、まずサークルに参加することによってメンバが「誕生」します。このメンバが成長し、卒業することによって「死亡」するまでおよそ3〜6年ぐらいです。地方大学の方が適しているとしたのは、その方が卒業生がOBとしてサークルに顔を出す確率が低くなり、世代交代による影響を観察しやすくなると考えたからです。当然、交通の便が悪く、とても気軽に顔を出せないような立地の大学が望ましいです。2点目についても同様で、なるべく外部の影響を受けない環境を選んだ方が独自の(怪しげな)慣習が発達しやすく、研究は容易となるでしょう。

「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉の通り、社会というのは人の個人的な経験に基づいた実にあやふやな「常識・慣習・伝統」の上に成り立っています。なるべくなら、そうしたものに振り回されずに自分の頭で判断して生きていきたいものです。

ところで、この諺、ビスマルクの言と記憶していたのですが、不思議と英語のwikipediaにもドイツ語のwikipediaにもありませんでした。私の検索能力が低いだけかもしれませんが、この言葉って日本以外ではマイナーなのでしょうか? それともこれも……。

*1:私は他の体育会に比べると大分マシなのではないかと今でも思っていますが