健全な危機感と過剰な成功体験の危険性
先日、あるお客様を訪問しました。そのお客様はかなり先進的な企業で、社員の方達の能力も高く、企業の業績も大変良好なのですが、そのお客様はとても印象深い一言をおっしゃっていました。
「確かに我々は日本では先進的だと言われているようだが、グローバルの企業に比べれば足元にも及ばない。なんとかしないといけない」
この言葉に、私は非常に驚きました。今まで多くの優れた企業の方とお会いしてきましたが、トップ企業の方で、社員レベルでここまでの危機意識を徹底されている会社は多くありません。
もう10年ほど前になりますが、大学のある先輩がある企業に就職した後、一度会う機会があって、そのときに聞いた話を思い出しました。その先輩が勤めている企業は、日本を代表する有名な企業でしたが、デジタル化の波に飲まれて主要事業が急激に縮小するも、新しい事業を次々に創出して生存に成功した企業でした。その先輩と話をしたのは、ちょうどその業績回復で話題になっていた頃でしたが、そのときその先輩はこのような話をしていました。
「とにかく危機感がすごい。誰一人として、このままでいいとか思っていない。新しいことはすぐに始めるし、自分みたいな若手にも仕事はバンバン任せてくれる」
多くの会社では、社内外に向けて鼓舞するようなメッセージを発信します。自分たちはすごい、自分たちはできる、自分たちは偉大だ、といったようなメッセージです。当然ながら、会社というのは常に様々な危機や試練がつきまとうので、士気の向上のために、こうしたメッセージは重要と思います。
では、もし本当にうまくいってしまったら、その後はどうなるのでしょう?自分たちはすごい、ということを本当に証明してしまったら?私はここに一つの落とし穴があるのではと考えました。成功体験に基づく自尊心は、その後の失敗に対して正常に対処できなくなるのでは、と、ふと思いました。
もちろんこれも難しい話で、危機感を煽るばかりだと、「この会社本当にヤバイんじゃないか」と勘違いする人が出てきて、退職者が続出したり、いい人材を採用できなかったり、株価に影響を与えたり、と、ネガティブな効果ももちろん少なくないでしょう。しかし、健全な危機感を抱き続けるというのは、特に予定通りに計画が進まなかった場合に問題解決に柔軟になれるのではないか、と思いました。
では、どうすれば健全な危機感を抱き続けることができるのでしょう?一つは、適切な高いゴールを決めることではないかと思います。ハードルが低すぎては成功体験が過剰になってしまい、ハードルが高すぎては誰も真面目にそのゴール達成を考えなくなるでしょう。しかし、ゴール設定だけでは健全な危機感を持つというのは難しそうな気がします。そもそも、健全な危機感とはどのようなものか、まずこの定義を明確にする必要があるでしょう。いずれにせよ、まだ自分の中で答えの出ていない話です。
関連書籍
こうした、失敗から学ぶという書籍は何冊か読んだことがあります。そのうちの一冊、「名経営者が、なぜ失敗するのか?」は面白い本ではありますが、あくまで経営者視点の話で、現場の意識のような話には言及していません。
国家の失敗というテーマで有名な書籍としては、「失敗の本質」や「大国の興亡」がありますが、いずれも組織論、あるいは大組織に関連する機能についての言及が主体で、やはり現場の意識という観点ではあまり言及はされておりません。(いずれも名著なので本件とは別に読む価値はあります)