超予測力: 未来を予測する技術を学べる本

今年読んだ本の中で一冊を挙げるならば、間違いなく本書でした。


本書は、非常に予測能力の高い人達はどのように予測をしているのか、ということに注目した本です。

米国では、情報先端研究計画局(IARPA)による、情報分析予測トーナメントが開催されています。 本書で登場する「超予測者」は、この予測トーナメントで非常に高い成績を収めた人達です。この超予測者達を調査し、その予測手法についてまとめあげたものが本書です。

その中から、特に汎用性が高く、すぐに使える手法をいくつか紹介しましょう。

予測手法1: 確率についての正しい理解

「天気予報だと降水確率80%だったんだけど、雨は結局降らなかったよ」

我々は普段、このような会話をしますが、大抵は「天気予報が外れた」という意味を込めています。

確率という観点に立てば、本来は「天気予報が正しかったかどうか、これだけではわからない」というのが正しいはずです。

降水確率は「80%」なのですから、逆に言えば20%は外れる可能性があるわけです。しかし、我々一般人は、80%という数字を100%であるかのように錯覚してしまいます。

超予測者達の特徴の一つとして、この確率の粒度が非常に細かいというものがあります。一般人は、ものごとを「はい、いいえ、どちらともいえない」といった粒度で予測を行います。しかし、超予測者は1%刻みで予測を行うのです。

頭の中に選択肢が三つしかない人は確率を判断しろと言われると、50%という数字を使いがちだ。50%を「どちらとも言えない」と同義に考えているからだ。このため頻繁に50%を使う人は、予測の正確性が低いと考えられる。(p.204)

まず、この確率に対する認識を改めることが、予測力を高める最初の手法となります。

予測手法2: フェルミ推定

「なんだフェルミ推定か」と肩を落としてしまったかもしれません。しかし、本書のフェルミ推定は、一般に知られている基本的な手法よりも少し奥が深いです。それは、「外側の視点」と本書で呼んでいる手法です。

「レンゼッティ家には44歳の父親と35歳の母親、5歳の息子がいる。父は引っ越し会社の経理担当、母は保育士をしている。父親の母も同居している。このとき、レンゼッティ家がペットを飼っている可能性はどれくらいか。」という問題が本書に書かれています。

一般人は、上記の家族構成や背景についてまず考え始めますが、超予測者は、こうした情報を最初は無視します。その代わり、全国でペットを飼っている世帯の割合を調べます。それはインターネット上で検索すればすぐに答えが見つかります。(本書の記載時点では62%)

このように、背景を無視した上で得られる、完全に客観的なデータや、それに基づいたフェルミ推定を行い、その確率を「基準値」とすることが本書で記載されている手法です。

基準値がない場合、誤った予測に結びつく可能性が非常に高くなります。「このようなことが起こる確率は高い」と、「通常はこのようなことが起きる確率は5%だが、今回は通常に比べて起こる確率は通常に比べて高い」では、大きく印象が違うでしょう。前者は少なくとも50%以上であるかのように判断してしまいがちですが、後者であれば20-30%であると予想するのではないでしょうか。このように、人間の心理は基準となる値にひきずられてしまいがちです。なので、最初に基準値を設定することは非常に有効なのです。

予測手法3: 逆の意見に耳を傾ける

「X国が3ヶ月以内にY国に軍事侵攻する確率はどのくらいか」という質問があったとします。あなたがX国に詳しくて、X国が政治的にも経済的にもY国に軍事侵攻することを簡単に予測できる場合、この問題は非常に易しくみえてしまうでしょう。超予測者は、そのような場合でも、「X国が3ヶ月以内にY国に軍事侵攻『しない』」という意見に耳を傾けたり、あるいは、どういう条件であれば自分の意見を翻すか、という可能性を考えます。

本書では、こんな研究が紹介されています。
予測精度の低い人ほど持論に自信を持っていて、さまざまな事象について「起こり得ない」「確実」などと言い切る傾向が高く、一方で、予測精度の高い人ほど、自らの誤りを認め、考えを変える傾向があり、「しかし」「だが」「とはいえ」「それに対して」といった転換語を多用する、というのです。

さらに、面白いのはこの一文です。

知名度と正確さには逆相関が見られたのだ。有名な専門家ほど、その予測の正確さは低かった。(p.109)

メディアや一般大衆は、シンプルで好きのない明快なストーリーを好むため、断言しない専門家はメディアでは成功しない、とまで書いています。

予測はできない、だからこそ予測する

本書は、8章までは先述のような超予測者の予測手法にフォーカスを当てていますが、9章以降はチーム論や組織論、リーダーシップ論などにフォーカスを当てて、予測をどのように活用するかを述べています。

そこで述べられている最も重要なことは、「結局のところ完全な予測はできない」というものです。

2001年4月11日、当時の米国国務長官ドナルド・ラムズフェルドが、ジョージ・W・ブッシュ大統領とディック・チェイニー副大統領宛に、リントン・ウェルズ博士が執筆した、1900年から2000年までの、10年ごとの戦略的状況の分析メモを送付しました。

その内容は、10年ごとの戦略分析は「全て」的外れであるということを示していました。例えば、1930年の国防計画基準には「今後10年は戦争はしない」と記されていますが、実際には9年後に世界大戦が勃発しています。1960年の時点では、まだ米国国民の大半はベトナムという国を知らず、1990年にはインターネットという概念を国民の大半が知らない、という状態でした。
「2010年の状況は、我々の想定しているものとは全く異なるものだから、それを前提にして計画を立てるべき」とそのメモは締めくくられていました。

そしてその半年後、911が発生したのです。


ファストアンドスローで有名なダニエル・カーネマンや、ブラック・スワンで有名なナシーム・ニコラス・タレブが本書に何度か登場します。

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

カーネマン、タレブ、そして著者の三者は、「10年先の地政学的状況あるいは経済を予測できるというエビデンスは存在しない」という点で意見が一致しています。

では予測は役に立たないのか?そうではなく、予測できないからこそ、細かく予測をして準備をするのです。

予測についてしっかりと考える人は少ない、だから「20年先の地政学的状況を予測する」とか、「次の一世紀を占う」などの本がべストセラーになるといったバカげた現象が起こる、と本書は断じています。

特に、以下の二つの文が印象に残りました。

わかっていないという現実を認識するのは、わかっていないことをわかっていると思い込むよりましである。(p.337)

宇宙規模で考えれば、人間の予測能力などちっぽけなものだ。だがちっぽけな人間の世界で生きている以上、それを軽んじるのは筋違いだ。(p.342)

本書は、予測する人だけでなく、他人の予測を評価するための予測リテラシーを養うための教科書としても非常に優れています。本書の締めくくりの一部を引用します。

本書を読まれたみなさんもそれに気づき、そこから大きな変化が生まれることが私のひそかな願いである。予測にお金を払う人々は、魅力的なストーリーを語る評論家に騙されず、彼らに過去の予測の実績を尋ねてほしい。相手が自慢話や華やかな経歴ばかりを並べたら、それでは答えにならないと突っぱねてほしい。いまではわれわれの口にする医薬品は全て実験で有効性が確認され、ピアレビューを受けている。それと同じように予測を受け入れる前に、それを立てた者が厳格な検証を通じて自らの予測が正確であると証明しているか確認するべきだ。(p.346-347)

我々が普段目にする情報には、読みやすく、素晴らしいロジックを持って、「こうに違いない」と確信できるような華やかな「予測」にあふれています。そして、それらを信じる人や、信じない人が言い争うという光景も幾度となく目にしているでしょう。予測リテラシーを高めれば、まず一歩引いた状態で情報を分析し、その予測が注目に値するかどうかを確認する武器となることでしょう。

年末にこの本に目を通してから、「2020年を占う、予測する」といったテレビ番組を眺めてみる、というのも悪くないかもしれませんよ。