はてブでコメントをつけたくなる記事の価値

以下の話はあくまで私個人の話です。


なんではてなブックマークでコメントを書くんだろう?

はてなブックマークでコメントをつけるとき何を考えているんだろう?

ふとそんなことを考えたわけですが、結局その答えは

「その記事を読んで脳味噌のCPUが動いたとき」

といったところかなあと思いました。

コメントをつけた記事の価値は、(あくまで自分にとって)コメントをつけていないもの以上の価値がある場合が多い気がします。


もちろんコメントをつけていない記事の中にも価値の高いものがたくさん含まれています。

ただそれはあくまで「脳味噌の記憶装置を動かしている」だけの話だと思うんですよね。

ネットで見つけた面白い画像をただ自分のHDDに保存するかのように、ただ面白い話を頭で覚えておくような、そんな感じがします。

勿論ただタグをつけてブックマークすることが悪いことだとは思いませんが(ていうか自分がしてるし)、やはりそれでも「何かを書く」という行為はそれなりの思考過程を経て初めて成立するものだと思うんですよね。

例えそれが脊髄反射的に書き込んだコメントであったとしても*1

だから「コメントをつけた記事=脳を回転させるほどの影響を自分に与えた記事」と言っていいと思うんです。


こういう見方をすると、色々なことが違って見えます。


コメントが多い記事は、例えそれが中傷の類であろうとも、大勢の人に「考える」行為をさせたという点では優秀であるといえます。
少なくとも、読み飛ばされたり、「( ´_ゝ`)フーン」で終わってしまう記事ではないわけです。

また、ブックマークしている記事の数が多く、さらにどの記事にもコメントをつけるような人は、どんな記事を読んでも常に何かを考える(あるいは考える努力をしている)という点で尊敬できます。
私も最初そうしてたんですけど、面倒だから読みっぱなしにしちゃうこと多いんですよね。
気をつけたいところです。

「コメントをつけたいからブックマークする」というのも、その記事に何らかの反応を示したことの何よりの証拠になるわけです。例えば罵倒のコメントをつける*2のであれば、それはその記事に対する拒絶反応が出たというわけです。
そこから「なんで中傷的なコメントを書きたくなったのか、すなわちなんで自分は拒絶反応を起こしたのか」ということを考えると色々面白いと思います。


そんなわけで、「コメントをつける=自分に何らかの影響を与えている」と思ったわけです。

(よく考えると別にはてブに限らずコメントや2chのレス全てに言える話のような……。単に閾値の問題かな? まあこれはまたの機会に)

*1:そもそも脊髄反射的という言葉がおかしいですよね。意味のある言葉を使うということはすなわち脳を使用しているということでもあるし(じゃあ使うなよ)

*2:私は中傷コメントはしない主義ですがやっぱり「何言ってんだこいつ」と思うことはあります